写真で振り返る福島3.11からの(ごく個人的な)一年間

3月

大混乱の会社を出て自転車で帰宅した夜、余震がひっきりなしに起こる中、私は車に避難して一人震えていた。寒さでも恐怖でもない。これがあの、いつか来ると言われていた宮城県沖地震か。
生き延びたんだ…生き延びられたんだなぁ…。

すべてのライフラインは止まっており携帯電話の充電もなかったので、何が起こっているのか分からなかった。ガソリンの残量を考えるとカーラジオをつける気にもなれなかった。登山のための装備が揃っていたので、まぁ大丈夫だろうと楽観的に考えていた。連絡のとれなかった同居人はずいぶん遅くなってから帰ってきた。

部屋はぐちゃぐちゃ。

食器棚もクローゼットも、扉が開いて中のものが吹っ飛んでいた。

床は小麦粉と調味料とコーヒーで粉だらけ。

うさぎは無事だった。落ち着かせるのに苦労した。

小売店は頑張ってくれたと思う。ありがたかった。

隣の市に住む親に連絡したのは29日。
世間には絆という言葉があふれていたけど、私たちはなぜか全然やりとりをしなかった。
会いに行ったら「あら生きてたの?」と言われた。絆がないにもほどがある。
瓦が落ち、蔵が壊れていた。

農作物で最初に放射性物質が検出されたのは葉もの野菜。ほうれん草の摂取制限が出たあと、職場ではあわれな観葉植物にされていた。みんなブラックな冗談を言い合っていた。

この頃は、あまり写真を撮る余裕はなかった。会社は災害時こそ必要とされる業種なので一日も休みなく動いていた。みんなお風呂にも入ってないから獣みたいな匂いをぷんぷんさせて、必死で仕事していた。私は非正規雇用の下働きなんだけれど、未曽有の災害が起こった時ちょうどこの会社にいたというのはとてもラッキーなことだと思った。

4月

東京電力福島第一原発まで 20km のところまで行った(自宅は 60km)。
同行した者は車から降りようとしなかった。

被災地を見に行くことには、賛否両論ある。私は絶対に見るべきだと思う。

飯舘の隣町である川俣で、素敵なイベントがあった。

たくさんの漫画家さんが来てサイン会を開いてくれた。これは浦沢直樹先生と西原理恵子先生。

この時期に福島に来てくれるということが本当に嬉しかった。ありがとうございます。

スクリーニングも受けた。特に問題なし。

観光名所のはずの三春滝桜はガラガラ。


5月

菅首相、中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領が福島へ。駅から避難所までの道は通行止めになり、全国から派遣された警察が警備について、物々しい雰囲気…でもなく、近隣の子どもたちは鳥取県警と記念撮影してた。もちろん私もした。

山の向こうの北塩原は日常だった。被害はコンビニのワイン1本と聞いて驚く。同じ福島県なのに。

田植え。米の放射性物質がどのくらい出るのか不明だけれど、とにかく作付けをした。

6月

ガイガーカウンターを借りてきた。どうしても、線量の高いところを探したくなってしまう。

マンホールはずっと飛び出したまま。

7月

東北六魂祭は人多すぎ。

8月

安達太良山。やっと登山を楽しむ余裕も出てきた。

夏、祖母が亡くなった。98歳。


親戚が集まる場でも、やっぱり放射能ジョークで盛り上がる。

福島の名産である桃の価格は暴落。こんなに果物を食べた年はない。

高速道路が無料化したのを良いことに、北アルプスに登った。福島から来たことがバレたらどうしよう…差別されるのかな…とドキドキしていたけれど、別にどうということもなかった。車もイタズラされなかった。

9月

LIVE福島 風とロックSUPER野馬追
…県内6カ所を横断してのフェス。会津鶴ヶ城と郡山に参戦。

会場に集まった全員で 猪苗代湖ズ 『I love you & I need you ふくしま』 を歌う。
このとき福島で生きていく覚悟が決まった。
自分の立ち位置が定まらないまま、次々暗いニュースが入ってくるのはつらかった。
いろんなことを言う人がいる。私だって、安全と危険の間で揺れている。
でも、思う通りに生きていこう。
科学的・医学的なことをちゃんと勉強する。
不安や悲しみも隠さない。
ありのままでいこう。
このフェスに関わったすべての人たち、私に勇気をくれてありがとう。

八百屋も絶好調。

10月

稲刈り。

台風の被害も大きかった。

毎年、稲刈りのついでに栗拾いをする。けど今回は未検査の栗はちょっと食べたくなかった。栗や筍、柚子なんかは放射性セシウムが高めに出るようだ。親は大量に食べていた。国や市は流通品ばかり気にして、自家消費のことに言及しない。


あとから分かったことだけれど、うちの米から放射性物質は検出されなかった。

関西に住む姉の結納のため相手のご両親がはるばるやってきてくれたので、みんなで岳温泉に泊まった。こんな危険なもの食べられるかー!とお膳をひっくり返されたらどうしようと怯えていたが、もちろんそんなことはなかった。

ご両親を連れ、二本松菊人形へ観光。

11月

うさぎの誕生日を盛大に祝う。


あちこちで除染が始まった。

12月

街もだいぶ元通り。

バドミントンができるようになって、やっと日常が戻ってきた感じだ。

1月

お正月、かつて同居人の釣りポイントだった宮城県名取市閖上へ。

2月

喜多方そばまつり。

つるし雛まつり。いろんな催しにカメラを持って出かけていった。福島は元気だ。

何やら怪しげなものが、にょきにょき建てられる。

県内2700カ所に設置されたリアルタイム線量測定システムだ。結果は文部科学省のサイトで見ることができる。
東日本大震災関連情報 放射線モニタリング測定結果等 ― 文部科学省http://radiomap.mext.go.jp/ja/

今年の3月11日は、普通に仕事。そして午後2時46分、
「おーい黙祷するから集まれー」
あ、しまった、うっかりしてた。
灰色のセーターにチェックのスカートという、喪のかけらもない服を着てきてしまった。黒い服着てくればよかった……とあたふたしながら集合場所へ行くと、
「うわー失敗した、黒い服着てくればよかったー。」
カジュアルな服装の上司がおどけて笑ってた。

みんなでまた笑い合える日がきてよかった。
生きててよかった。

ねえ、大変な一年だったね。
いっぱい悩んだり傷ついたり、不安になったりしたよね。

「被災地の一日も早い復興を…」というけど、福島の復興って何だろう。
住民がみんな戻れたとき?戻るのを諦めたとき?原発がすべて廃炉になったとき?
分からない。だけど、生きていく。

この地で。


さまざまな形で福島にご支援くださった方々へ。
代表するつもりはありませんが、県民の一人としてお礼を言わせてください。
本当にありがとうございました!!!