タイ旅行記 ―1日目― 初めて国外に出た感動でうっかり見知らぬ人の車に乗ってしまった顛末

速乾吸汗Tシャツにポケットのたくさんついた機能性パンツ、そして大容量の派手なザック。完全に山登りの恰好だった。リゾートっぽい服を着たい気持ちもあったけれど、どんな天候や状況にも対応でき、着心地良く動きやすく汚れてもよく、女1人なのでなるべくナメられないような服、かつ手持ちのもの……と考えると、どうしても山の装備になった。

地元の駅から新幹線とバスを乗り継ぎ空港へ。実を言うとこの時まで、成田空港が千葉県にあるということも知らなかった。初めての飛行機。離陸した瞬間は感激のあまり少しだけ泣いてしまった。

深夜、タイに到着。ついに日本以外の地を踏んだ! ベルトコンベアの前で荷物が出てくるのを待っていると、30代くらいの日本人男性が声を掛けてきた。

「1人ですか? これからホテルまでタクシーで? 全然慣れてないようだけどタイは初めて? へぇ、海外自体が初めてなんですか。やっぱりね、さっきからあなたのこと見てたけど、ずっとキョロキョロして動きがおかしいからすぐに分かった。そんな初心者感丸出しで夜のタイに1人でいるのは危ないから、ホテルまで送ってあげます。これから迎えの車が来るんで。お金? いりませんよ。僕はこっちに駐在中で、運転手が車で迎えに来るような立場の人間なんで」

怪しい。普通なら警戒して断ると思う。が、私はその申し出をありがたく受け入れた。男性の見た目がなんていうか、黒髪短髪、中肉中背でメガネ、かっこよくもかっこ悪くもなく、真面目な普通の日本人――といった感じで、態度や言動を見てもナンパや詐欺っぽくなく、犯罪の匂いがまったくしなかったのだ。深夜にタイ人のタクシーに1人で乗るリスクに比べたら安全なように思えるし、そもそも山登りの恰好をした貧乏そうな中年女を犯罪に巻き込もうなんて思わないだろう。

迎えの車は空港に待機していたようだ。運転手はタイ人で、日本人男性がタイ語で何か声を掛けると、黙って車を発進させた。

なんの仕事をしてるんですか? とか、どんな生活をしてるんですか? とか、本当は聞きたかったけれど、なんとなくマナー違反な気がして聞けなかった。男性は本当に私自身には一切興味がないようで、何も質問してこなかった。私は、初めての海外旅行に感激していることと、旅の予定なんかを話した。

「この国にいる間は、夜12時を超えたら絶対に1人で外を歩かないように」

男性はそう念を押して、ホテルのエントランス前に私を降ろし、去っていった。

えっ!

私は動揺した。

ここじゃない。

予約していたのとホテルが名前が違うのだ。私は振り向く。そう、通りの反対側が私のとったホテルだ。明らかにこちらの方が格調高いホテルだった。でも親切な男性がまだ見ているかもしれない。とりあえず1回入って出ればいいか。そう思いながらドアを開けると、ドアマンが恭しく私を受付まで誘導してくれた。なんてこった。受付の前に立つ。どうしよう。ここじゃない。でももう引っ込みがつかない。受付の女性と英語で話す。おかしいですね、予約されていないようです…というようなことをたぶん言っている。私の英語は拙くて、説明も演技もできそうにない。私は家でプリントした予約票を黙って差し出す。受付の女性が「きっ」という顔付きになって、私の背中のほうを指さした。

「Over There !!」

正しいほうのホテルには車寄せもなくドアマンもおらず、ほっとするような普通のホテルだった。なぜかツインの部屋で、とても広々としていた。

こうしてバンコクの街の中、無事に眠りにつくことができた。