東京に行く理由

東京にほとんど行ったことがない。福島から東京までは新幹線で1時間半ほどだが、東京には行きたいところがないから。いや正確には、薄給の生活の中で往復2万円をかけてまで行きたいところがないから。横浜やディズニーランドは行ったけど、東京は一度、オタク仲間とコミケのついでにオフ会したくらい。何かのついでに通り過ぎる場所、それが私にとっての東京だった。

ある日、中村一義の20周年ライブが Zepp Tokyoで開催されることを知った。

中村くんはデビュー当時から好きだった。崇拝していたと言ってもいい。精神的に不安定だった時代の私を、彼が救ってくれていた。100sというバンドの活動が始まってからも大好きだった。「OZ」は今でも私にとって、一番好きなアルバムだ。

2009年を最後に新曲が発表されないまま、2011年3月、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故が発生。さまざまなジャンルの著名人が支援してくれていたから、もしかしたら中村くんも! とゲスな期待を抱いて公式を見に行った。すると新着情報として、「ペットの亀にもミネラルウォーターを飲ませています。飼い主としての責任です」と書いてあり、衝撃を受けた。

私はその時、ようやく水道が復旧して喜んでいるところだった。電気は2日で復旧したのだが、水道は1週間かかった。水のない生活は本当に大変だった。もちろん市販の水はとっくに売り切れていた。やっと水が使えるようになったら今度は「水道水から放射性ヨウ素が」とか、「基準値は超えてないから飲んでもただちに影響はない」とか言われてる状況で。

当時、ペットに水道水を飲ませないことはそんなにおかしい行動ではなかったかもしれない。もちろん悪気は全くなかっただろう。けど水道が出ない地域もある中で、わざわざそれを公式に載せることが許せなかった。私は、中村一義の音楽を聴かなくなった。

それでも時間が経つにつれ、少しずつまた聴くようになり、やっぱり曲は好きだなあーと思えるようになった。それで今回の20周年ライブを一つの区切りとして、東京まで行くことに決めたのだった。100sメンバーと別れてソロ活動を再開した中村一義がどんな音楽を鳴らすのか、確かめたかったのもある。

最高の夜だった。

中村くんは麦わら帽子をかぶって「海賊」という12人のバンドを結成していた。最初から最後までハッピーな笑顔。鬱屈した時期に繰り返し聞いた曲がバンド用にアレンジされて、全部「陽」になっていた。ゲストとして登場したサニーデイ・サービスの熱演も素晴らしくかっこいい。サニーデイの曽我部さんと中村くんが「犬と猫」「青春狂想曲」を続けて歌った時、私は嬉しすぎてどうにかなってしまいそうだった。

大勢の仲間たちに囲まれて和気あいあいと音楽を楽しむ姿を見て、もう私の好きだった中村一義ではないんだと感じた。20周年を祝う場にいられて幸せだったが、たぶん彼のライブに来ることは二度とないだろう。中村くんの音楽がどうか永遠でありますように。

中村一義 – 「永遠なるもの」

さて、せっかく東京に来たことだし、東京を満喫しよう。

夏にバンコク行った時に「バンコクってすごい!」と感じることがいっぱいあった。だが、福島と比べたらすごいのは当たり前なのでは? 東京と比べないとフェアじゃないのでは? ということで、観光客として歩いてみよう。

東京でやってみたかったこと、その1。銀座のバーで酒を飲む。

Twitterでたまに流れてくる「好事家の書斎」をコンセプトにした店に向かった。

本がいっぱい。

芥川龍之介の「蜜柑」をモチーフにしたカクテル。私はこの小説が好きだ。これを飲むためにここに来た。

着いたのがラストオーダーの50分前だったから少しはゆっくりできるかと思ったけど、私の他に客は1組、閉店の準備などもしているのが分かり、気ぜわしい雰囲気で寛げる空間ではなかった。装飾の凝ったカクテルも、1人で飲むようなものではないな。

東京でやってみたかったこと、その2。東京駅を外から見る。

中は何度も通っていたけど、外からは初めて。でも写真を撮る以外、特に何もすることがなかった。

東京でやってみたかったこと、その3。東京を歩く。

目的地はない。地図もあまり見ない。歩くのが目的だ。駅を背にしてとりあえずまっすぐ進む。店もないし人もいないし何にもないなと思いながら歩いていたら、皇居があってびっくりした。あの東京駅から皇居の、誰もいない景色すごい。千代に八千代にということで皇居があるから千代田区なんだろうか?

東京の中心なのに、全く人がいない。東京はどんな場所もどんな時間も、人であふれているんだと思っていた。でも、全然違う。眠らない街と聞いていたけど、夜は普通に眠っているじゃないか。

新宿まで2時間半ぶっ続けで歩いたらさすがに疲れて、5時まで開いている居酒屋をみつけて時間をつぶした。やがて山手線が動き出したので乗り込む。途中で酔っ払いの若い男性が、仲間に押し込まれるような形で乗ってきて、私の前に座った。

酔っ払いは眠り始め、座席の上で横になり、完全に熟睡し始めた。ポケットに入れていたであろう財布が床に落ちていた。誰かに持ってかれちゃうんじゃないのかな。そう心配する私も眠さの限界で、意識は途切れ途切れになった。眠ったり起きたりを繰り返す中で、周りの乗客は入れ代わり立ち代わりしていたが、酔っ払いだけはずっと視界の中にいた。

何度目かの覚醒の後、おなかがすいたことに気づき、酔っ払いに心の中で別れを告げて電車を降りた。

東京でやってみたかったこと、その4。築地でお寿司を食べる。

これで2800円。すごくおいしい訳ではないけどまずくもない、普通のお寿司だった。東京にあるからって、値段が高いからって、全ての店がおいしい訳じゃないんだなぁ。銀座のバー、築地の寿司……。どちらも憧れてたけど、夢から覚めた気分だ。でも夢みたいにおいしくて素敵な店も当然いっぱいあって、東京に住む人はきっとそれがどこにあるか知っていて、気軽に食べられる財力もあるんだろうな。それは羨ましい。

あと新しいスニーカーが欲しくて、ニューバランス直営店の中では一番品揃えがよいと何かに書いてあった原宿店に行ってみたが、そんなに数がなくて何も買えなかったのが心残り。原宿には私、とても場違いだった……。

原宿も銀座も渋谷も新宿も、なんか違うな、と感じた。私が行くべき場所ではない。東京のどこかにはきっと私好みの(売ってる物の値段もまあまあ手が届く範囲の)街があるんだろうが、それはどこなのだろうか。池袋も行ってみたかった。

それでも観光客目線で歩いてみれば、東京は清潔で楽しい街だ。さんざん歩き回ったおかげで、小説に出てくる地名を、これからは現実感を持って読むことができそう。小説は東京の固有名詞が「常識ですけど何か?」みたいな顔で出てくるから。

たとえば村上春樹の「二人は恵比寿の外れにある小さなバーにいた。」という文章。恵比寿がどんな街だか全く知らなかった私にはイメージができないし、ましてや「外れ」と言われてもそれがどんな意味を持つのか分からなかった。だが東京中を歩き回った今なら分かる!

……と思ったけど、今回は恵比寿には行かなかったから、やっぱり分からないや。